頑張り屋さんのわたしが双極性障害と診断されたので

躁うつ病(双極性障害I型)の主婦。しんどくないように生きる。

アウトプットについて

何事にいておいてもインプットよりもアウトプットは大切だろう。

それは私の過去の経験則としても、世間の評価としても定着していると思う。

だけど、肝心なことを忘れてはいないか。

もちろん、そんなことを忘れてしまうのはこの世で私しかいないかもしれない。

 

先日読んだ本に、こう書いてあった。

インプットなくしてアウトプットなし

 

大学1年生のための 伝わるレポートの書き方

大学1年生のための 伝わるレポートの書き方

 

  ちなみにこの本ですが、大変良書です。心理学専門の大学教授の方が執筆しています。メタ認知から自分の執筆したい内容を絞っていくという、認知科学の基礎を含んだ内容です。レポートを書く作業の他にも、自己分析や社内報告等、幅広い執筆作業の基本に繋がるであろう「書き方」をわかりやすく教えてくれています。

図書館で借りましたが、購入を検討中です。

 

「そりゃそうでしょう」と私は思った。

だけどそうじゃない。インプット、してるかな?してたかな?わたし。

例えばブログを書く作業も、自分自身についての他ならぬアウトプットだけど、それは無限に広がる脳内から何かしらかのテーマに絞って書き出す作業だ。

そしてその作業は、脳にあるインプットの更なるインプットだと思う。

とても瞬間的な作業なので、あまり意識することはないとは思うけど、生活レベルでのアウトプットでさえ、インプットなのだ。

 

人間の生活レベルにおけるインプットは、いわば「いま、自分は何をしているのか」と言い換えられると思う。

そしてアウトプットは、わたしたちの行動そのもの。

 

インプットなくしてアウトプットなし。

それは、論文の書き方にも、試験勉強にも、そして人生とも繋がることだろう。

よく聞く言葉に「今を生きる」とある。

 

私の病気が、インプットをないがしろにしてアウトプットを必死に行ったことのみで発病したとは思わないけれど、ほんの少しくらい、関係していると思う。

インプットをせずにした行動は、アウトプットするだけのロボットになったりもする。

それを利用する人も世の中には大勢する。

自分のしているアウトプットの意味をわからずにしていると、そもそも自分が何のために生きてるのかわからなくなる。

例えば私は今、わたしにとっての重大なことを誰かに伝えるために、ブログを書いている。そのためだけに、生きている。

 

これからは行動する前に、声に出してもいいかもい。

 

さぁ、私はこれから、洗濯物をたたむぞーー!

 

 

そんな感じの今日でした。

 

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