ぐうたらな日々
ほんの数ヶ月前。
私がまだバリバリと働いていた頃であれば、今の生活は極楽天国のように憧れて、なおかつ一生過ごす予定はありえない無い物ねだりだったと思う。
それが本当にこんな生活になるなんて、露ほども想像していなかった。
私の今の日々は、超最低限の家事だけを行い、他は寝ているか本を読んでいるか映画を観ているかネットを見ているかに限られる。しかもどれもこれも絶妙な中途半端さを伴っている。まさに、ぐうたらな日々だと思う。でも休養しているとも言える。
どこかの骨が折れてギブスを付けていれば他人も優しく、自分も自分を大切にできるようなものだけど、自分が病気であることを目に見えてわかっていないのは何よりも私自身であると思う。骨が折れたように心が折れているのに、目に見えないから自分でもわからないということだ。
いっそ心にギブスをつけたい。
それが朝昼晩就寝前と一日中飲まないといけない薬が代用であると考えてもどうも納得できない。
毎日のぐうたらな日々は一応、医師の指示通りにできるようになった、寛解のための大きな一歩だ。
だけど、どうしても違和感が拭えない。
30年近く「休まず頑張る」「休むのは悪いこと」と思い込んできた私に、ぐうたらな日々は心が痛む。繰り返すけど、本当に心が痛む。
それは私の幼少の頃に植え付けられた苦く間違った認識であって、大人になったいまはどうとでも考えを変えられるはずなのに、うまくいかないから苦しい。
人間の習慣というのもは、すべて小さな習慣の定着からのみにおいてしか変えられないらしい。毎日できるだけぐうたらになるように、小さな習慣から本当にぐうたらになりつつある私は、病気の寛解としては大成功への一歩だとしても、かつての私はどこへ行ってしまうのだろうと不安になる。
いつまでこのぐうたらな日々を続けないといけないのだろうかと心配にもなる。
常に夢を持ち(躁だから)、自分に厳しく(躁だから)、自尊心が弱く自己否定感が強い(これは母の洗脳)、誰かの光になりたかった(これは性分であり長所と短所だと思う)。誰かの光になるためには挑戦することだと全てだと思い込んでい信じていた私はどこへ言ってしまうのだろう。あの女子力よりも漢気溢れる勇んだ私はどこに行ってしまうのだろう。
と言っても本当はわかっている。
寛解というのは本来の私が失われるものではなく、焼酎の水割りのようなもので強すぎるアルコールを飲みやすくするようなこと。つまり生き易くすることだ。
私は失われないし、夢を持ち挑戦することもできる。これからだってきっとできる。
だけど私は、過去のやり方でのみ生きてきたから、新しい手法にこれでもかと怖気付いている。
私は寛解した状態で誰かの光になれるのかな。
そんな無駄なことで悩んだり不安になったりしている。
いろいろな経緯があって、八方美人に生きてきたので、人の評価が気になって仕方ない。だからこそ、自分は〝何者か〟にならないとダメだと信じて生きてきた。
それは立派な地位名誉を持つものでなければなかったし、修行僧のように苦しくもがいた結果でなければならないと思っていた。
それが私の「過去のやり方」だった。
でももっと他のやり方があるという。
寛解した状態は修行僧ではなく、もっとまったりとした、現実的で穏やかな光を生み出すのだと思う。
この状態を目指すことを恐れるのは、私が難関国家資格に合格するための経緯に似ている。
当時の私は「合格すること」が怖かった。
そこへ立ち向かうことができたからこそ、いま私の手元には堂々と合格証書がある。
奇妙なことだけど、あれほど辛い試験に対して「合格すること」が怖かったのは、「変化を恐れていた」からだと思う。
私はその難関国家資格のために何年も時間を費やし、当然だけど毎回落ち続けていた。でもそれは一種の快楽に近い、私にとっての平凡な日々だった。
落ち続ける方が、平凡だった。
そんなの間違えていることは今なら十分にわかるけど、ようするに月並みな私は変化を恐れていた。
その状態といまは同じだと思う。
だから私はこのぐうたらな日々を胸を張って堂々と受け止めていいんだ。
自分を癒し、いっそ抱きしめるかのように私はぐうたらな自分を褒めてあげていいんだ。
今までよく頑張ったねと、少し休んで、またゆっくり頑張ろうね、と。
他の誰でも無い、私自身が強くそのことに立ち向かう必要がある。
ぐうたら自分を責めるのではなく、ましてや生きる価値を見出せないと独り言をいうのでもなく、私は変化を恐れる弱い自分をここに認める。
私は弱い。
だからこそ、ここからまた強くなれるかもしれない。