休むことについて
冷蔵庫で冷やしたチョコパイを食べながらこの記事を書いている。
チョコパイはとてもジャンクなものなのに(失礼)おやつとしてすごくちょうどいい。食べごたえとか、お値段とか。
最近ようやく、休めるようになった気がする。
医師に行動は「一日一個」と言われているので、何かをしたと自分なりに思えたらそのまま休むようにしている。
今日は呼吸内科に行ったので、私の短い1日はとうに終わった。
そのあとはたっぷりお昼寝をして、ゲームをした。
この、お昼寝をするというのがポイントだ。
出かけたり、勉強したりしたら、お昼寝をする。
何かをしたくても、寝てしまう。
そんなこと、ちょっと前の自分には到底できなかったことだ。
今も少し罪悪感がある。
私は「行為心追」という症状を持っている。
常に「なにかをしなきゃ」「あれをしなきゃ」という思いが強く、そして頭に浮かんだ途端に、実行してしまう。
向こう見ず、無鉄砲、いつやるの、今でしょ!笑
だけどすぐに飽きてしまったり、他のことに夢中になってしまうので、長続きはしない。
夫には「私の発言は毎日、聞き流してね」と伝えてある。
今日話したアイディアが、明日も続く保障がどこにもない。
夫が私の話にまともに付き合っていたら、さぞかし疲れるだろう。
だから信用しないでね、聞き流してね、としつこく伝えるのだ。
それで夫の心情に訴えられればいいのだけれど、こればかりは本人の胸のうちだからわからない。
それにしても、まだ17時半だ。
一日一個というと、だいたい半日や数時間で終わってしまう。
残りの時間、やりたいことも無い。
医師曰く、私は混合状態らしい。
「危険信号ですよ。これから何かが起こるためのアラームが、あなたには鳴っています」とのことだった。
うつだから、やりたいことも思い浮かばないのだろう。
躁だから、どこかに出かけて動き回りたいのだろう。
〝動きたいけど、何もしたくない〟
毎日がそういう状況で、途方に暮れている。
休めるようにはなったけど、残りの時間をわたしはどうすればいいのだろう。
本を読む気にも、映画を見るにも、勉強する気にも慣れないのに、なにかがしたい。
なるほど、まさに混合している。
休むことが少しできるようになったこと。
混合状態であること。
それが今日の私です。