服薬と習慣の乖離
最近は病院に行くたびに薬が増えて辟易としています。
というのも、私はここ数年間に概ね躁状態が多く、うつ状態が少ないです。
医師曰く、ラピッドサイクラー(?)という躁とうつの状態が混合的に現れる症状のようで、とにもかくにも生きるのに疲れます。
そこで、いつまで経ってもの躁状態が強めの私に位置が薬を処方してくれるのですが、これがどうにもならない程に辛いのです。
それはなぜか。
医師が私に「休んでください」と言ってくれるのには理由があります。
私はまるでロケットのように爆発的に行動した結果、エネルギー切れで墜落してしまう人生を送ってきました。そのことを医師は知っているので、とにかく今は休むように指示されています。
そのための薬を処方されているのです。
ですが。
今回処方されている薬の効き目が強く、服薬すると頭の芯がぼわんとするような気分になり、意欲も低下、何をする気にもならなくなります。
そうですね、休めてますね。
けれど、私の習慣に「休む」ということはありませんでした。休むこと自体に抵抗があることは今も変わらないのです。まるで筋トレをする習慣がない人に筋肉増強剤を服用させてムキムキにするような。それって本人の意思に反してますよね。例えるならそんな感じで、わたしは辛く感じています。
なので、タイトルにある通り服薬と習慣の乖離ということになっているような気がしました。
ですから、次の診察日には医師に上記のことを伝えようと思います。
「わたしには、小さな習慣から始める必要があります」と。
小さなは習の対象は、言わずもがな休むことです。
そう思ってふりかえってみると、これでもだいぶ休めるようになった気がします。
勉強をしなくなったというのも大きな変化ですし、日常的に映画を観たり、本を読んだりすることもこれまでの私には無い習慣でした。
ただぐうたらに過ごすのではなく、意識的に休めるようになることが今の私には必要です。
そのための小さな習慣を日々積み重ねていきたいなぁ。
まずは毎日お昼寝!からでしょうか。
実はこれはすでにクリアしていますw
リラックスできること…なんでしょうね…。そう考えると難しいところがあります。
最近はじめているツイキャスも思ったよりリラックスできています。
お暇な方がいらっしゃいましたら、ぜひ遊びにきてくださいね。
というわけで、宣伝で終わる今日のブログでした。(すみませんw)
愛する人たち
実家から戻ってきた。
言いようのない寂しさと静けさに満ちた自宅で、私はただ呼吸を繰り返している。
実家からの帰り際、母が私に「苦しんでいる貴女に、私は何もしてあげられない」と涙目で言った。
母が泣くのはいつものことだけど、苦しんでいることを知っていることを言葉にしてくれたのは初めてだった。
父は「ゆっくりでいいんだ。体に気をつけろ」と何度も言った。
ああ、私の居場所はどこだろう。
父と母が全力で気を使う、暖かく切ない愛情が千切れてしまわないうちに、私は自宅に戻ってきた。一緒に過ごす時間が長ければ長いほど、溢れた分の愛情が乾いてしまうことを、私は知っている。
私の体が幾つかに分れることが可能ならば、父と母とも暮らしていきたい。
病気のことなど忘れ、苦しんだりもがいたりしながら、懸命に試験と向き合いたい。
けれど私は自宅に戻り、夫が見守る中で、一人で戦うことを選ぶ。
夫がいない昼間は寂しい。
誰かと話がしたくなる。
試験のことで、語り合える友達がほしい。
病気のことで、わかりあえる仲間がほしい。
そんな我儘な私と共に、私は父や母、夫とさえも離れて孤独に生きることを知った。
物理的な距離は関係ない。
人は孤独だと、パンドラの箱がゆっくりと開いて私の心に真実が流れ込む。
寂しいことは当たり前のこと。
この広い世界で、私たちは誰とも分かり合えないで生きている。
それでも。
だからこそ、力を振り絞ることができる。
一心同体のように愛情を捧げてくれる奇蹟のような出会いがある。
その奇蹟の中で、私は私の水流を辿る。
病気によって一見して乾いてしまった私の心にも、必ず原泉がある。
私はきっと、また溢れる水の中で生きることができる。
その日のために、今を生きる。
大切なひとたちに伝えたい。
今日も幸せだったと。
たとえ遠くても、一人の時間が長くても、私は私の力で幸せでいられるよ。
そのことを愛する人たちに伝えたい。
それが今の私の目標だと思う。
今日まで飛んできた
いつの間にか5月が終わりに近づいている。
会社を辞めた年末はつい最近のことのように感じて、まるで大きな風に煽られて今日まで飛んできた気分。
寒い日々に心を痛み尽くし、私は傷を隠したまま笑顔で飛び散った。
私のなごりは誰かの心にまだ残っているのだろうか。
忘れてほしい切ない出来事も、覚えていてほしい愛した出来事も、二度と思い出さなくていいから記憶の片隅で眠っていてほしい。
私は固くそう想い、そして静かに6月を待っている。
資格試験を受けてからというもの、躁状態がひどい。
一気に部屋を片付けたり、多弁になったり。
でも仕方ないと思う。それほど試験はヘビーなものだから。
無事に司法試験に受かって、何になりたいかといえば弁護士になりたいと思う。
依頼人の相談に真摯に向き合えれば、業態や専門分野にこだわりはない。
こっそりカウンセラーの資格をとっても良いかもしれないと思っている。
相談にくる人は、誰かに話を聞いてもらいたいだろうから。あとは現実的なところで、簿記の資格だろうか。
そう考えていくと、私の人生は勉強ばかりだと思う。
あまり役に立てていないけれど、勉強が好きだから苦ではない。
もちろん、どうしようもなく息苦しくて机に迎えない時もあるけれど、それでも私は勉強が好き。
ところで、たまに私のように行政書士→司法書士→司法試験というステップアップを希望する人を見かけるけど、私は絶対に辞めた方がいいと思う。
私はたまたま、自分がどこまで挑戦できるか試そうとした結果、順序良くステップアップしただけ。
司法試験や司法書士を目指すなら、最初からラスボスを狙った方が良いと思う。
同じように見えて、全く違うものが世の中にはたくさんあるから。
綿毛みたいに飛んで消えたわたしが、またどこかで花を咲かせる日々を、私自身が望んでいることに気づく。
大輪の華を咲かせることに憧れていたわたしは今、小さな花になりたい。
誰かに踏みにじられても、優しく吹き飛ばされても、笑顔の色を身につけて、また必ず咲く、小さな花。
いちいち思い出さなくていいから。
そこに咲かせてくれるだけでいいから。
私を愛でるのは、私だけ。
すべてが二の次
すべてが二の次ということはナンバーワンは存在しないというこだけど、最近はそれでも良い気がしてきた。
ここ数ヶ月の私のナンバーワンは双極性障害に関するあれこれだった。
でも、ナンバーワンを決めてしまうとそれだけに振り回されてしまう。
「はじめまして、双極性障害の私です」という自己紹介は何かが引っかかる。
それが私の自己紹介の筆頭なのか?と。
もちろん、私の目標はすこしでも寛解に近づくこと。
だけど小さな目標もたくさんあるし、振り回されるものなら他にもある。
資格試験とか、友達とか、お金とか。
言い換えればたくさんの悩みの中で生きる私にとって、双極性障害というのは唯一の悩みではないし、ナンバーワンとも言い切れない。
だからあまり気にせず生きていけばいいんだと思うようになってきた。
わかりやすい躁うつには気を払わないといけないし、服薬も指示通りに続ける。
医師からの行動制限も、守っていく。
だけどその全てを実行したことで、私が私として保たれないかというと、そんなことはない。
私だって早起きしたい日もあるし、たっぷりお昼寝したい日もある。
小さな衝動買いをすることだって、食欲がない日もある。
それを全て病と結びつけるのは、やめよう。
病の中で生きるのではなく、私の中に病の一部があるんだと考えてみる。
そのほうが自然な気がするし、生きやすくなると信じてる。
不安は全然あるんだろうけど、そういうのも逐一深くは考えない。
いっそ、なーんにも考えない。
でっかいプールでぷかぷか浮かんでいるような。
溺れない程度にゆっくり泳いで進むみたいな。
挑戦する対象について
人は失敗をおそれる。
だけど私は特に躁状態のとき、無鉄砲で向こう見ずに新しい挑戦に飛び込んでいく。
私は実際に挑戦することが好きだし、生来そんな性格だと母から聞いているから、病に関係なくそういう性格だとも思う。
けれど、失敗は恐る。その辺は、人並みだ。
私はほんの数時間前に、自分の挑戦の対象の認識が誤っていたことに気がついた。
挑戦の対象は国家試験。
超難関資格なので、挑戦するにはふさわしい。
だけど失敗をおそれていない。
そのことに気がついた。
なぜかって、その答えは簡単なんだ。
私の挑戦の対象は、国家試験じゃない。
失敗を恐れていないのは、国家試験への挑戦が、本当の挑戦の隠みのだったから。
そうして私はようやく、自分を誤魔化していたことに気がついた。
逆説的に考えてみれば簡単にわかることだった。
失敗を恐れているものこそ、挑戦していることなんだ。
私が恐れているものは、資格試験の不合格でもなく、子供を授かれるかどうかでもなく、新婚旅行に無事に行けるかどうかでもない。
私は、この病を寛解できるかどうかを恐れている。
だから急ぐ。怖いから急ぐ。
他の対象で気を紛らわそうとする。
でも人間が想像する失敗のほとんどは、実現しないらしい。
だからきっと大丈夫。
この病気に向き合っていけば、大丈夫。
緩やかな坂道を少しずつ登って行こう。
障害年金相談窓口にて
このまま一生働けなかったらどうしよう。
私には資格があるので就職は問題なくすることができるはずだ。
だけど体や心は追いつかないままなのか?
そんな不安を抱えつつ、重すぎる腰をあげて年金事務所へ行ってきた。
申請するかどうかはともかくとして、障害年金の書類をもらっておこうと思ったのだ。
受付してくれた担当者は、物腰柔らかくニコニコと優しそうな印象の中年女性だった。
自分が双極性障害であること、このままでは生活に困る可能性があることなど、医師が別の機会に書いてくれた診断書等を見せながら話は進んだ。
必要書類一覧、その書類の書き方など、丁寧に教えてくれたように感じた。
だけど何かがひっかかる。
事前に調べた情報と異なる説明を受けてる気がする。
担当者のネームプレートには社労士であることが記載されている。つまり年金のプロだろう。障害年金を申請する側ではなく、申請される側として働く彼女は、日々訪れる、「嘘か本当かわからない事実」を語る相談者たちと会話をしているはずだ。
だから、自然とそうなってしまったのかもしれない。
彼女は私に言った。
「気分の抑揚は誰にでもありますからね」
ああ、と心の中で嘆いた。
そしてそのまま家に帰った。
帰宅してから書類にしっかり目を通し、記載例をネットで確認する。
彼女の説明とは全く異なる内容が、他の社労士さんのサイト等に記載されていた。
「これがあれば大丈夫ですからね」
「書き損じがあるときに使ってくださいね」
彼女は嘘は言っていない。
だけどそれ「だけ」じゃ足りない。書き損じではなく「2枚目として必要」な場合がある。
どうしてだろう。
彼女が私に個人的に定期資金を払うわけでもないのに。
決定するのは彼女じゃないのに。
彼女は今日も、嘘はつかないけれど説明不足な対応を、他の誰かにするのだろうか。
それとも私だけ、新型うつの人にでも見えたのだろうか。(なぜか新型うつの話もされた)
それは誰にもわからない。
だけど人の偽善に触れた、切ない一日だった。
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