わたしが双極性障害と診断されるまで
先日の記事で自分がうつなのか躁なのかわからないと書いたけれど、とりあえず今の私はとても憂鬱な気分です。
けれど憂鬱や気分が優れない日というのは、誰にでも起こりうる日々の感情の変化だと思います。
私がうつ気味だからとか、双極性障害だからとかは関係なく、私のように今日を憂鬱に過ごしている人はこの世にたくさんいることでしょう。
普通の人と私はどこが違うのだろう。そんな疑問が脳裏をよぎります。
私が双極性障害と診断されたのは先月。
3月16日のことです。
その前々日から体を動かすことができなくなくなり、異常性を感じて夫と一緒に心療内科へ駆け込みました。
それまでは「軽いうつ症状」の治療のために、心療内科に通っていたのです。
診断後、服薬のおかげかはわかりませんが、とりあえず今日までは概ね正常に生きています。結局、日常生活が困難な程の抑うつ状態はその二日間だけに止まりました。
今はほぼ毎日同じくらいの時間帯に起きて、早朝から昼にかけては読書やウォーキングをして、午後は自由に過ごしています。
側から見れば健常な休日生活でしょう。
(ちなみに今日はウォーキングの途中、スタバに立ち寄り2時間ほど読書ノートを記録していました。こうなると健常どころか、意識高い系のノマド民と見てとられてもおかしくないですね。)
それでも私は、今、とても憂鬱な気分です。
ただそれだけのことであり、1時間後にはあっけらかんとしているかもしれません。
だけど、ああ、苦しいなぁ。
悲しいなぁ。
泣きそうだなぁ。
そんな気分です。
それまでの「軽いうつ症状」は、去年の11月頃から発症していました。
言葉にするのが難しい、漠然とした不安感や疲労感の連続や、中途覚醒といった睡眠障害の自覚がありました。しかし私は「すこし疲れちゃったかな」と、ほんの数日休めば治る一過性の状態だと信じ込んでいました。
11月に心療内科へかかったのもあくまで、念のため。本気でお世話になるつもりはありませんでした。
年が明けてから、私はあらかじめ計画していた資格試験の勉強に専念するために会社を退職し、鬱なんて概念が入り込む余地はありえないほど勇み足で勉強に取り組み始めました。
けれど3月に入って、どうにもおかしくなりました。
なんとなく、机にむかえない。
しんどい。
たった2ヶ月しか勉強してないのに?
それでもしんどい。
予備校の講義がはじまったばかりなのに?
でも、できない。
思ったよりも早く糸が切れた。
そんな感覚でした。
だけど、また力を振り絞れば頑張れる。
やるって決めたから。
絶対に合格するねと、明るく周りに宣言したから。
今までだって、頑張って、頑張って、頑張ってきたから。
同じように頑張れば…。
資格試験への挑戦は、私の中で大きな希望でした。
何ヶ月もかけて万全な準備をして、会社も退職し、予備校に大金を支払い、合格へ向けて歩みはじめたのです。現行の試験制度上、勉強の開始からその職に就くまで最低でも3年はかかる試験です。ほんとうに一大決心でした。
けれど実際は、そうではなかったのかもしれない。
私にとって大きな意味を持つ決断も、躁転の一種だったのかもしれない。
というか、ほぼほぼそうなのであろうという現実が今、目の前に横たわっています。
私自身が自然と生み出す頑張るためのエネルギーはとっくに底を尽き、躁うつという、脳の異常だかなんだかという、わけのわからないものに私は突き動かされていたようです。
もちろん、すべての意思や選択が躁うつの為したものではないでしょう。
それでも私は、自分自身の持つ空っぽのエネルギー缶を呆然と眺めながら、この缶はどうしたらまた満たされるのか?
満たされるまで何年かかるのか?
いつから空だったのか?
そう思いながら今を過ごしています。
振り返っても仕方ない。
それでも振り替えざるをえない。
双極性障害と診断されたくらいなので、明らかな抑うつ期⇄躁期が過去にもありました。思い出せる範囲でのそれは、もう10年も前に遡れます。
その頃から私は病気だったのか。
なぜそうなってしまったのか。
思い当たる節はなく、脳の病気ですと言われて「はい、そうですか」とも言い難い。
私はいま、不思議そうに、自分自身を見つめています。
だけど病気って、そんなものなのかもしれません。
私はたまたま心(脳?)の病気でしたが、日本人の多くが罹ると言われているガンですら、自覚症状がない中で「あなたガンですよ」と宣告されるイメージがあります。
私にだって、いつかガンのような身体的な病気を診断される日がくるかもしれません。
そのとき、前述した通り「いつから」「こうなって」「しまったんだ」と思うでしょうか。思うでしょうね。そして「はい、そうですか」とも言えないでしょうね。
ところで今日の私のネガティブ状態ですが、こうなった原因に思い当たる節があります。昨日すこし、色々と頑張っちゃったんですね。
行動記録のおかげで、変化そのものや、変化の要因が推測できるようになりました。
やっぱり頑張りは禁物ですね。
ゆっくり直していきたいです。